宮城県古川黎明高等学校 県内公立初の中高一貫教育校

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旧校舎解体に寄せて

 多くの卒業生の青春を見守ってくれた旧校舎の取り壊しが始まりました。様々な思いの中で今改めて旧校舎への感謝を示すため,新校舎への移転からこの日を迎えるまでの古川黎明高校の生徒諸君と同窓生の皆さん,私たち職員の思いをここに書き記させていただきます。

同窓会長挨拶

去りゆく校舎に

同窓会長  千葉 典子

 「昭和41年9月,県下随一の規模を誇るモダンな校舎が完成」と,創立85年史に記された二代目の校舎は,多分1万名以上の生徒達を受け入れ,送り出し,約50年の歴史を閉じました。巣立った生徒達は今,社会の中で自分の位置をしっかりと占め,大いに活躍していることでしょう。
 50年間生徒達を見守り続けた校舎には,そのことを語る術はありませんが,3.11の東日本を大きく揺るがした大震災の時にも崩れ落ちることなく,しっかと立っていたことは,あたかもその使命を果たそうとする強い意志のように感じられました。
 卒業生の皆さんは,昇降口の傍に置かれていた石膏の座像を覚えているでしょうか。解体の始まった11月のある日,工事中の校舎をながめながら,敷地の南側にまわってみると,落葉が散り敷いた旧体育館の南側の片隅にあの像が放置されていました。たしか,一代目の校舎が解体された時,あの廃材に針金を巻いて石膏をつけて,美術部員の方が造ったらしいということを思い出しました。あの時代の生徒が像に込めた,続く時代へのメッセージを想い,少し胸が熱くなりました。
旧校舎中庭のロータリーに,春早く,香を漂わせた白梅は,今は三代目の校舎の西側に移植され,新しい地で変わらぬ香を生徒達に届けてくれています。
 大きな時代の流れの中で,そこを駆け抜けていく中・高校生徒達をいつも変わらず見守ってくれる校舎があることの幸せを思い,そして駆け抜けていく生徒達にも,その校舎に思いを馳せるいっときがありますようにと,消えていく校舎を見ながら思いました。
 そして,校舎が同じ姿のまま50年立ち続け,次の代の校舎へと健やかに引き継がれていくことの平和を素晴らしいと心から思いました。
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あゝ思へ 国の未来の・・・
 昭和34年4月,古川女子高に入学した。その時の,急に周囲の世界が広がったような不安な,しかし高揚した気持ちがなつかしく思い出される。
 卒業して25年後,今度は教師として古女に赴任することになった。仙北地震で大打撃を受けた旧校舎はすっかり様変わりしていたが,わずかになつかしいものがあった。玄関前の紅梅白梅,旧図書館の窓越しに見えた枝垂れ桜,校舎西側の杉並木,旧クラブハウス前の藤棚,裏門の側で秋に美しく葉を染めたメタセコイア等,何十年もの間,校庭に根を張って春秋を繰り返して来た樹々のなつかしいたたずまいに,感慨も一入だった。旧体育館や寄宿舎の建物も残っていたが,ほどなく撤去された。
大正9年の開校以来,80有余年の歴史を重ねて来た古女の教育活動の中に根を張り,受け継がれてきたものは何だったのだろうか・・・

 (『古川女子高等学校創立85年史』 千葉典子先生ご挨拶から抜粋)

校長挨拶

旧校舎(本校2代目校舎)とのお別れに際して

                            校  長  庄子 英利

 10月,旧校舎の解体工事が始まりました。11月18日現在,駐輪場が解体され,北校舎の主要部分の解体が進んでいます。ロータリー付近も石碑を残して更地となりました。
 平成25年8月,引っ越しを終えた新校舎での授業が始まりました。8月の同窓会総会の折りに旧校舎お別れ会を実施し,たくさんの同窓生の皆さんに参加していただきました。その直後,工事は平成26年度以降に延期されました。
 この2年間の延期により,旧校舎への愛着の深まりと,残してもらえるのではないかという淡い期待を感じるようになりました。昭和38年から45年にわたって建てられた校舎は,築40年をはるかに超え,東日本大震災での震度6強という激しい地震にも耐えた,すばらしく頑丈な校舎でした。
 しかし,いよいよお別れの時が来ました。同窓生に心から愛され,在校生たちに最後まで丁寧に大切に使われてきた校舎,女子校から男女共学校へ,そして中高一貫教育校としての歴史が校舎の隅々にまで染みこんだ校舎。その想い出は永遠に忘れません。
 本当にありがとうございました。


同窓生挨拶(本校旧職員 現田尻さくら高校勤務)

母校に思う

平成4年卒業(第44回) 後藤 美保

 私が古川女子高等学校に入学したのは,昭和天皇が崩御され,年号が平成に変わった平成元年でした。同級生は普通科8クラス360名,衛生看護科1クラス40名の400名。全校生徒は1200名。朝会ともなれば現在の第1体育館はあたりまえですが前から後ろまで女子,女子,女子・・・。すごい迫力でした。
 この度,その私たちが青春を過ごした校舎が解体されると聞き,在校中の思い出が次々と蘇ってきました。
当時,北校舎は1年生と衛生看護科,南校舎は2・3年生が使用していました。教室の廊下側にはカーテンはなく,体育時の着替えはオープンで,時間を延ばして次の授業を遅らせたり,冬には煙突の付いただるまストーブが登場し,ストーブの上でサツマイモを焼いたりと,書ききれないくらいの楽しい思い出が頭に浮かんできます。
そんな高校生活を送った私が事務職員として古川黎明中学校・高等学校に勤務することになったのは,卒業から18年後の平成22年のことでした。衝撃の再会はあのだるまストーブ!!まだ健在でした。
在職中の5年間で東日本大震災を経験し,同窓会の幹事,旧校舎から新校舎への引っ越し,新校舎で使用する備品の購入など,公私にわたり母校にかかわる仕事をさせていただき,大変光栄に思っています。そして古川女子高,古川黎明中高をとおして出会えた同窓生の皆様,一緒に働いた教職員の皆様との楽しかった日々は母校が取り持ってくれた「縁」のお陰と感謝しています。
 旧校舎が解体されることは大変残念ではありますが,これからは私たちの記憶の中でいつまでも立ち続けることでしょう。私は伝統と思い出が詰まった旧校舎,輝かしい未来のある新校舎の双方に勤務できたことを幸せに思っています。
 そして,私たちを育て見守ってくれた旧校舎にありがとうということばを贈り,今後も母校の発展,子どもたちの活躍のために微力ながら協力し,応援していきたいと思っています。
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(千葉典子先生を囲んでの旧校舎訪問の様子)


同窓生挨拶(現本校職員)

旧校舎のどこかにある同じ想いに寄せて

                               根岸 優子

「あの黒板だ。」すぐに分かった。
高校生の頃,私は英語の歌を歌うのが大好きで,覚えた歌詞を,教室の後方に遠慮深く設置されてあるその黒板に書いた。覚えたことがただただ嬉しくて書いた。黎明に赴任して幾日か過ぎ,たまたま訪れた教室でその黒板を見つけた時,黒板に英語の歌詞を書くだけでわくわくしたあの時の気持ちが蘇った。
私は今,教室の前方に堂々と設置されてある黒板の方に英語を書いている。英語の歌詞だって時々は書く。1つのことが意味を持ちつながっていることを深く感じる。
職員室からは,壁が取り壊され室内があらわになった建物が見えている。あの日の黒板もいずれ壊されるだろう。旧校舎で過ごした人は皆,私と同じように,旧校舎のどこかに大切な思い出を持ち,それが未来へとつながる確固とした礎となって一人一人の心にしっかりと刻まれているに違いない。
そして今日も,黒板に英語を書き,生徒たちと満ち足りた時間を過ごしている。

平成25年8月 新校舎移転に際しての校長講話から

 平成25年8月,旧校舎から新校舎への引っ越しを前に,校長先生から全校生徒に向けて次のような講話をいただきました。以下要旨を紹介させていただきます。

新校舎移転にあたって ~会津若松城の明け渡しから学ぶべきこと~

 「長年お世話になった旧校舎をあとに,新たに竣工した新校舎への引っ越しの日が近づいてきました。多くの卒業生の春秋と,ここにいる在校生の皆さんの高校生活を見守ってくれた旧校舎への感謝の気持ちを皆さんと共有したいと思います。今日は幕末の会津藩のお話をしたいと思います。
中略
戊辰戦争で新政府軍に屈した会津藩の人々が,会津若松城を明け渡す際の心中は察するに余りあるものがあるわけですが,そのような思いの中でも会津藩の人々は,開城にあたって城内を丁寧に掃除したそうです。多くの犠牲者を出し,うちのめされた会津の人々が,敵方に渡ってしまう若松城を丁寧に磨き上げたうえで明け渡したのは,どのような心からなのでしょうか。今日はぜひ皆さんにもその意味を考えて欲しいと思います・・・」

その後中学生は北校舎を,高校生は中央校舎と南校舎を,思いを込めて掃除しました。以下の写真は当時の3年生の掃除風景です。床や壁を丁寧に磨き終えると,各クラスの黒板には,旧校舎への感謝の思いが綴られました。
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(旧校舎清掃の様子)

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(進路室前での勉強風景と黒板に綴られた寄せ書き)

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(旧校舎と白梅)

平成25年度卒業生(旧校舎から新校舎に移った節目の卒業生)に向けた学年便りから

平成25年10月10日

古川黎明高校3学年通信 『羅針版』 Vol.7

文責:3学年主任   木村 秀一

 <場所への感謝>
新しい校舎に移って一ヶ月半が過ぎました。快適な施設での生活に感謝の毎日です。
 日曜日の夕方,3年生の諸君が来ていたので例のごとくおしゃべりしてまわっていると,勉強していた何人かの生徒が「とっても集中できるんです!」と生き生きと話すのを聞いて,僕自身もとても嬉しく思いました。たしかに自習室や進路資料閲覧室では,平日休日を問わず,朝早くから夕方遅くまで実に多くの生徒がそれぞれの夢の実現に向けてひたむきに頑張っている姿を見ることができます。そんな君たちの姿を見ていたら,ふと旧校舎で頑張っていたかつての先輩たちの姿とだぶって見えて,時の早さを感じるとともにある感慨を覚えました。
思えば3年前。卒業式後も多くの生徒が登校し,後期試験の準備のために頑張っていました。友達と励まし合いながら進路資料室でグループを組んで勉強する者,図書室で一人黙々と頑張る者,ここの方が落ち着くんですと言って進路室や職員室前の寒い廊下で膝に毛布をかけて頑張っている者。センター試験前にはあれほど緊張していたのに,最後のワンチャンスである後期試験前には逆にすっかり度胸がすわったのでしょうか,こころなしか大人の顔つきに変わりつつあるのを見て頼もしく思ったものでした。そしてあの日。後期試験を翌日,翌々日に控えたいつものメンバーが登校してきて最後の確認をしました。県外に出発する諸君と握手を交わして見送ったあと,県内受験組ともうひとがんばりして職員室に戻ったとき,あの激震に襲われました。揺れがおさまってすぐに脳裏をよぎったのは図書室の百科事典の書架の前で一人で勉強していたAさんのことでした。すぐに駆け上がって図書室の扉を開けたとき,彼女の座っていた机に大きな書架が何列にもわたって覆い被さるように崩れているのを見ました。一瞬背筋が寒くなるのを感じながら大声でAさんの名を呼ぶと彼女は部屋の隅にうづくまっていました。あの時のAさんの顔とその後第2グラウンドに集まって無事を確認した生徒たちの顔を僕は生涯忘れないと思います。
当時の校長先生がしばらく経って僕に話してくれました。「俺はあの揺れの中,生徒にもしものことがあったら職を辞そうと思っていたんだ」と。宮城県沖地震の再発の危険性が言われる中で,老朽化した校舎が耐えられるかどうかという話はそれまで何度も耳にしていました。この校舎が生徒たちを守ってくれた。そう僕らは思いました。

 「場所に対する感謝」ということについて以前この紙面を借りてお話ししたことがありました。どのような場所にも人々の営みがあり,そこにはさまざまな思いが刻まれているのだということを皆さんにも考えて欲しかったからです。そういう意味で言えば,皆さんにとって今回の校舎改築という出来事は,皆さんがこれからの人生を送る上で得難い経験になったのだと思います。震災の年に入学し,旧校舎と新校舎を後に巣立っていく皆さんであればこそ,共有しうる感覚というものがあるのだと,先日の旧校舎清掃の際に,ひざまづいて一生懸命床を磨いていた皆さんの姿を見てあらためて確信しました。
 明日は東日本大震災の月命日。なくなられた方々に対し,ここにあらためてご冥福をお祈りするとともに,いまなお不自由な生活を送っておられる多くの方々に心からの思いをお送りいたします。

27年9月29日旧校舎清掃

解体業者による作業が10月から11月に始まることが決まったのを受け,2期考査の最終日の部活動一斉ボランテイアの際に,旧校舎,校舎周り,近隣の道路,諏訪公園に分かれて清掃を行いました。
 旧校舎の清掃にあたったテニス部の諸君のほとんどは新校舎が完成してからの入学生でしたが,黎明中学校からもちあがってきた部員が旧校舎を案内し,校舎への愛着を話しながらの温かい清掃となりました。

11月も終わりに近づいた今,新校舎側の窓から臨む景色にはすでに北校舎の姿はありません。さらに少しづつ校舎の解体が進んでいきますが,在校生と私たち職員,そして多くの同窓生の皆さんとで,共に旧校舎の解体を見守り,感謝の思いを捧げたいと思います。 この誌面はその思いを長く残していきたいという思いから作成いたしました。作成にあたりこころよくご協力をくださいました,同窓会会長千葉先生をはじめ,多くの同窓生の方々にここに改めて感謝申し上げます。